日常的意識
「私は男である」ことは、日常的に意識することではない。意識することで何も変わらないからだ。「私は童貞である」ことは常に意識せざるを得ない状況にすぎない。
なぜなら「自由」という言葉があることで自由に縛られているように、「童貞」という言葉に縛られているからだ。この意識とは自分が構築したものではなく社会が構築させるように仕向けた事にすぎない。
要するにイメージをつくっているのは童貞ではない男女と童貞である本人たちの無意識なのだ。今風で言う「キモイ」「クサイ」「キタナイ」の3K。実に屈辱的ではないか。反論の余地はある。まずその3Kはこれまでの平均値をまとめて、それを言葉でわかりやすく表現したもの。平均値とは可も無く不可もなくであるから必ずしもそれにあてはまっているとは限らない。ではどこからその3Kがやってきたのか。まずはその意味を知ってこそ童貞である立場をどう切り返していくかを考えていくことができる。何事も基礎から成り立っていなければ次に踏み出す事は出来ないのである。
逆境とダメージ
「キモイ・クサイ・キタナイ」とてもじゃないけど人間に対してはなつ言葉とは思えないほど今風の表現方法。よく考えてみてほしい。この言葉は童貞に限った言葉だけじゃないのはもちろん、国民が至らぬ政治家に対してよく使っていないだろうか。陰気クサイ発言。やり方がキタナイ。
なんだか単に童貞というだけでこんな風に思われているのかと思うと生きる気力がなくなりそうだ。おかげで充実した人生を送れそうにもない。ではどうすればいい?童貞には悩みごとがたくさんあり、それをいちいち考えていてはどんだけ自分がダメなのかを思い知らされる。それが自信をますます無くさせる原因になる。この3つの言葉で表現されるのには必ず原因がありそれさえ改善すれば何とかなるもの。